変わらないこと、変わっていくこと

こんばんは、石川です。

最近寒くなってきまして、あれ、秋どこ?みたいな感じです。

そろそろ自販機の「あったか~い」が恋しい季節になってきたのですが、なんで「~」なんですかね?

 

さておき。

今回は10/08特典会にてちむと話した「なんで人間の気持ちって変わるんだろうね」っていう言葉がちょっと刺さったので自分なりに考えてみようかな、と。

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(ラーメンは特に意味はないです、寒くなってきた時の田所最強よね)

 

今回の話、ともすれば誰かに刺さるかもしれませんが、特定の人物に言及するつもりもないですし、どちらかと言えば自分の経験則を基にして書いていくので、誰かを思い浮かべて記述していくものではないことご了承ください(自己防衛策)。

 

「人はいさ 心も知らず ふるさとは

花ぞ昔の 香ににほひける(紀貫之/古今集)」

とはよく言ったもので、昔からそうなんだけど人の気持ちなんてコロコロ変わるんだよなー、とは思うわけで。

朝思ってたことと夜考えてることが変わるなんてよくある話で、朝のイメージ通りに一日が終わったことなんてほぼないと思うんすよね。

朝考えた今日の夕飯なんて守れた試しがほぼない自分からしたらまあそれはそう、なんですけど。

 

じゃあなぜ人の気持ちが変わるのか。

3つくらい要素あると思うんですよね。

 

1.その考えを越す思考との出会いがあった

2.その考えを覆す出来事が発生した

3.そもそもその考えが比較的どうでもいい内容だった

 

主にこの3点だと思ってます。順に書いていこうかなと。

 

1.その考えを越す思考との出会いがあった

自分の中での直近はちむとの出会い。

基本的に他人(おしなべて自分以外の総称)に入れ込むことをやめようとすら思うレベルの生活を送ってきたここ数年だったので、他人になんら期待も興味も持てず、もうハムスターと一生過ごしていこう、と思ってた昨年夏。

 

誘ってもらって何回か挨拶行って2ヶ月くらいラグがあってなお自分のことを覚えているうえに、ネタ絡みとは関係ない部分で自分本体に興味を持つような人間がいて、更にその対象に自分も少なからず興味を持っていることに気づいた時の衝撃よね。

 

それが「仕事」だ、と言ってしまえばそこまでではあるわけだけど、少なからずこちら側の気持ちが動かされたことは事実。

その結果が今なわけです。

モチベーションとしては完全に小学校で習った反比例のグラフ。あとは勝手に上がっていくだけ。

 

この場合は「全く知らないものと出会った場合」に起因することが多いのかな、と。

自分の中にない感覚と出会った時の衝撃とそこまでの自分を比較して「こういうのもアリなのか」となった場合に思考の切り替えが発生する、というのはなくもない話なのかな。

 

2.その考えを覆す出来事が発生した

自分の思いを変えさせるような行動をされた、主に対人の時に発生。

こだわりが強ければ強いほど、相手への思いが強ければ強いほど起きやすいのかなー、と。

 

ただこれも「信じてたのに裏切られた」っていう言い方になるんだろうけど、

・相手のことを正しく判断していたのか

・相手に自分のことを正しく伝えられていたのか

・お互いに相手の行動を理解できるのか

これない限り「裏切られた」と思った側の独りよがりなんだと思う。

 

自分と相手は別の人間なんだから相手の行動には何がしかの行動理念があると考えるべき。

であれば自分の行動に何か反省すべき点はないのか、相手がなんでそういう行動に出たのかをまず考えるべきなんじゃないかなあ、、、って思う自分は卑屈なのかな?

 

自分にとっていつでも都合のいい人が好き、って人も中にはいるんだろうけど、そういった人間は自分にとってなんら得るものはないから切っていいと思ってる。

得てしてそういう人を見極められないのが石川の弱みなんかなー、って。

 

相手も自分のことを、自分も相手のことを。

まあ「相手も自分のことをちゃんと考えている」ってのが前提になっているので結局はどこまで信じられるか、に帰結しちゃうから、タイミングによってはしゃーないのかな。

 

あーしてくれない、こーしてくれないの要求ばっかしてくる人はゴミ。ここだけは気をつけないといけない。

思ってるから何していい、でもない。

最大限のリスペクトを持って。

 

これ結構陥りやすいから自分も気をつけないとなー、、、だな。

 

3.そもそもその考えが比較的どうでもいい内容だった

まあなんでこれが最後か、って言うとぶっちゃけた話、これが1番大きいと思うんすよwww

 

人間も結局は動物である以上、本能である程度は行動しているもんで。

 

本能の対義語に理性、ってのがあるわけで、アダムとイブの時代から林檎食って知恵を得てそれにより産めや増やせやから文化的生活してきた、なーんて考えられてる話が聖書にも乗ってんだから、根っこには本能で動いてるってのは間違いねーのかなと。

 

ただ、それを優先するかどーかって、その思いの程度だと思ってるんすよね。

大事なこと、大切にしなきゃいけないものってそんなに大きく変わらなくない?

 

好きだの嫌いだのの直感もある程度重要になってる感情については入口については本能的要素が強いと思ってますよ?(じゃないと一目惚れなんて話が出てこない)

 

最初に話した夕飯なんて最たる例で。

だって何を食べても「食べる」という欲求は満たされるから。タイミングによる趣向の最適解を選んでるだけ。

 

ただ、人付き合いにおいては項1,2のウエイトがどんどん大きくなってくる。

そらそうだ、対話をし、思い出を重ねていく(要は記憶)わけで、一生本能で付き合ってるわけじゃないから。

 

じゃあ人付き合いにおいてなんで変わるのか。

ここ数年の経験からくる体感としては、結局1,2,3の「タイミング」なんだろうな、っていう結論。

だから他の人がどー思ってようがそんなに深く考えんでいいんかなー、って。

「ああ、その程度なのね」って。

口だけではなんとでも言うけど、結局そういうことか、って。

 

ただこれ対象人数が増えれば増えるほど割り切りが難しいんだよなー

 

例えばアイドル。

特典会で1日に話す人数を実数値20人とした時に、その20人については勝手に「縁」ができてしまう(自発ではないからできてしまうって考えることとする)。

次また来る人を75%程度と仮定した場合に、15人には思い入れを持たないといけない(次の仕事に繋がるから)。

 

それが勝手に離れてくんだから、俺ならやさぐれるね!!!(結論)

 

対抗策は結局「今の気持ちを大事に」なんだろうけど、それが点なのか、線なのか。またその線がこれからも続くのかここで切れるのか。

お互いの信頼関係だとは思うんだけど、自分の気持ちはいざ知らず、相手の気持ちなんかわかんないからね。

ましてや自分の気持ちを100%で相手に伝えるなんて東大入試より難しいと思ってるからさ。

 

だからこれからも繋ぎたい人にはフルオープンでいこうと思ってる。

結局自分知ってもらわないと相手のことも同程度で知れないんじゃないかって。

なんでよー知らん人に手の内全部バラさなあかんねん、ってお話。

相手のことをリスペクトした上で、積み上げていきたいな、と。

 

ちょっと話が逸れました。

変わっていくこと、変わらないこと、変えちゃいけないこと。そしてその上にくる「変えたくないこと」

自分の中での優先順位だと思ってるから、変えたくないことを大事にして、変わってほしくない人を大事にしていけたらな、と。

 

今の好き、は最優先事項だからさ

これからどんどん積み上げていきたいなー、って本ブログ書きながら朝目をこすりながらちむ想ってます。(寝落ちした)

 

絶対結婚しような!(お前結局最後はそれなのか)